2.脱会の動機

 今まで※※※年間生きてきて、<信仰>について真面目に考えたのは、ここ最近になってだと思う。それまで信仰の絶対的な必要性など感じたことがなかった。子供のころから創価学会の信者ではなかったし、(自己批判的であるがゆえに、)そのつもりもなかった。それでも少なからず、「おまじない」的な“こころ”の安定には機能していたのは事実だろう。だがそれは、掌に「人」という字を三回書いて飲む、ことと大差のない、あくまで無根拠でかまわない「おまじない」としてだ。 こどもには、そもそも自信を持つという根拠付けが経験値からいって乏しい。それゆえに、それが本当に効果のあることかどうかとは関係なく、こどもには「おまじない」が有効なのである。そのレベルにおいて、創価学会はそれなりに機能していたと言えるが、あくまでその程度においてである。
 家庭環境の地盤沈下創価学会の信仰のみで埋めようとしても、現実的にいって、こどもの“こころ”の支えは、それ以前の家族/親子関係に強く依存しており、それなくして「おまじない」だけでどうにかなるものではないだろう。逆に言えば、その家族/親子関係をベースにできていれば、「おまじない」だけで充分事足りるとも言える。おそらく、私たちは、そこから機能不全を起こしていたという共通認識を持たねばならないのではないか。そう考えることができれば、必然的に「おまじない」的なものに依拠しなければならなかった現実も見えてくるのではないか。
 そのような問題提起から脱会の動機を話したい。

 一人暮らしを始めて家が比較的近かったため、従兄弟のJくんから何度か学会への誘いを受けた。学会への興味はとくになかったけれど、いろいろ考えを知るという理由で、これまで何度も学会の会合に参加したが、結局、何がすごいのかよく判らなかった。
 そんなある日、またJくんに誘われ会合へ出向いたのだが、途中で唐突に入信の話題になり、そのままなし崩し的に入会の流れになったので私は抵抗した。当事者の発言なく、他人の一存で入信が形式的に済まされてしまってよいのだろうか、と不信感を強く抱いた。これではショップの会員登録レベルじゃないか。いや、軽く断れない分、これでは荒手の押し売り販売ではないか、と感じた。 なので、私は首を縦に振ることができなかったため、外へ出てJくんと二人で話すことになった。
 一対一の対話、つまり創価学会の根本的思想の<折伏>の力が試される訳だが、自分が感じたのは、「何も言ってない」という印象だけだった(それはお前がわかってないだけだという反論はもちろん受け入れるが)。

 それでもJくんが言ったことをかんたんにまとめてみると、「この宗教はすごい」 「とりあえずやってみればわかる」 「ご本尊は自分が迷ったときの羅針盤になる」 「自分のためにやればいい」、といったところだ。はたしてこれが<折伏>の力なのだろうか、と首をかしげてしまう。他の宗教との差異、特異性をもっと丁寧に説くべきではないのだろうか。そう感じながらもJくんの<折伏>という晴れ舞台に親戚が泥を塗るわけにはいかないので、妥協するという形であるものの、創価学会への入信がみごとに成立したわけである。

 誤解がないように言うが、ここでJくんの例を出したのは批判したいからではなく、むしろこれまで会って来た何を言っているのか良くわからない人たちより、Jくん個人に期待していたといえる。音楽の趣向や教養面から、もしかすれば「話ができるかもしれない」と期待していたが、結果はやはり個としての会話には至らず、バックボーンには創価学会の<信仰>がベッタリ張り付いていて、私はただただ唖然とするしかなかった。

 とにもかくにも、晴れて会員数一千万人とも言われている(HPには850万世帯が入信とあるが、実際はもっと少ないという批判もある)学会員となった。
 劣化コピーされ判然としない文字が書かれたお守り御本尊なるものを3千円ほどで買わされ、それを押入れに突っ込んだままにしていたわけだが、お守り御本尊があろうがなかろうが、とくに自分の考えは(いつもぶれてはいたが、)大きく変わることもなく、学会からはなるべく距離をとるようになっていた。そうこうしているうちに、3月11日が来た。

 人間の非力さ、宗教の無力さを感じた。

 後日、創価学会の公式サイトを訪れた。一年近く姿を見せていないはずの池田大作から(と、一応なっている)メッセージがサイトにアップされていたので転載してみる。
 2011年3月16日、池田大作名誉会長がメッセージをおくり、同日付けの聖教新聞1面に掲載された。
 『このたびの東日本大震災に際し、被災なされた皆様方に、重ねて心よりお見舞いを申し上げます。大地震・大津波より6日目。安否を確認できない方々も多数おられます。皆様方の疲労も、さぞかし深いことでしょう。体調を崩されぬよう、そして十方の仏菩薩から守りに護られますように、私も妻も、全国の同志も、世界の同志も、一心不乱に題目を送っております。わが身をなげうって救援・支援に尽力くださっている役員の方々、さらに地域の依怙依託の皆様、誠に誠にありがとうございます。「一国の王とならむよりも、一人の人を救済するは大なる事業なり」(『啄木全集 第7巻』筑摩書房)とは、東北が生んだ青年詩人・石川啄木の叫びでありました。私は最大の敬意と感謝を表します。 御書には、災害に遭っても「心を壊る能わず(=心は壊せない)」(65ページ)と厳然と示されています。「心の財」だけは絶対に壊されません。いかなる苦難も、永遠に幸福になるための試練であります。すべてを断固と「変毒為薬」できるのが、この仏法であり、信心であります。また、逝去なされたご親族やご友人の追善回向を懇ろに行わせていただいております。本当に残念でなりませんが、生命は永遠であり、生死を超えて題目で結ばれています。妙法に連なる故人は必ず諸天に擁護されて成仏され、すぐに近くに還ってこられます。これが仏法の方程式であります。日蓮大聖人の御在世にも「前代未聞」と言われる正嘉の大地震がありました。人々の悲嘆に胸を痛められ、大難の連続の中、「立正安国」という正義と平和の旗を厳として打ち立ててくださったのであります。大聖人は、「大悪をこ(起)れば大善きたる」(御書1300ページ)と御断言になられました。きょう「3・16」は、恩師・戸田城聖先生が、この世から一切の不幸と悲惨を無くすために、「広宣流布」を後継の青年に託された日であります。一段と強く広宣流布誓願し、共々に励まし合い、支え合いながら、この大災難を乗り越え、勝ち越えてまいりたい。断じて負けるな! 勇気を持て! 希望を持て! と祈り叫んで、私のメッセージとさせていただきます。』

 震災当時、この文章を読んでも、ああそうですかという印象しかなかったが、改めて読んでみるといろいろわかることがある。例えば、引用元の文章が極端に短い。あまりにも短い一節を抜き出しただけなので、そもそも論理性を放棄しているようにさえ見える。
 ほかにも、死(者)に対しての言葉がないこと。また、親しき人を亡くした遺族への配慮にも著しく欠けていると感じる。
 創価の教えでは、死んでもまた生まれ変わるから悲しむ必要などないという考えだろうか。題目で結ばれていれば何も悲しくなく、「追善回向」すればそれでよいという考えなのかもしれない。
 しかし、これでは学会信者以外には届かない(響かない)限定的で画一的な言葉でしかない。このように言うと学会員向けだから当然だ、という批判があるのかもしれない。 だが、これほどまでの大災害、つまり、国難である時に、できるだけ多くの国民に届くような開かれた言葉で語らなければ意味がないように思う。世界に広める思想<広宣流布>とは、本来はそういう意味であり、その舞台はまさにこの時にこそあった。

 思想家の東浩紀は、日本では震災後すぐに「がんばろう」、「復興に向けて」などの言葉は大量に出てくるが、それ以前に死者を目の当りにし沈黙するしかない状態や追悼の意、沈鬱な日々を送るという過程がぼくたちには一定期間必要なはずなのに、それを口にする者がほとんどいない。そういうことを口にする言葉がぽっかり抜け落ちてしまっている昨今の日本社会は非常に危うい状況にあるのではないか、というような内容を震災後、何度も指摘していた。この東の批判に上記の池田の文章もみごとに当てはまる。

 震災から5日目、このころ事態はすでに震災を超えて人災も手伝い、原発メルトスルーし、放射能の問題に世界中が関心を集めていた。
 震災後に政府は、東日本大震災復興構想会議特別顧問(名誉議長)に哲学者の梅原猛を任命した。梅原猛はこの原発の問題を「文明災」と位置付けた。梅原氏の記事と読み比べてほしい。

 『仏教の徳が、日本の人々の心のどこかで生きづいているように思う。たとえば、思うようにならない天災を、「仕方がない」と受け入れ、逆に前向きに生きていこうとする。こうした姿勢は、大乗仏教の忍辱、つまり、精神的な屈辱や苦難に耐え、自分の道を貫くという考えからきている。日本のようなモンスーン地域では、しょっちゅう天災がある。このような地域で、自然とともに生きていくための知恵だ。一種のあきらめの精神ではあるが、日本の優れた文化でもある。<中略>
スリーマイル島チェルノブイリの反省も生かさず、今回福島でも事故を起こした原子力発電を推進している東京電力は、優良企業と呼ばれてきた。しかし、これはどこか間違っていたのではないか。福島原発の事故の後に行われたドイツの州議会選挙では、反原発を掲げる緑の党が躍進した。今や、原発は日本だけでなく、世界の問題となっている。原発をやめさせようとする世界的な流れが起こっているのだ。とはいえ、原発を廃止するのもお金がかかる。廃棄物処理の問題も残ったままだ。人間は、本当にやっかいなものをつくってしまった。今回の事故は、あらためて近代文明の是非を問い直し、新しい文明を作るきっかけにもなるのではないか。まずは日本が率先して原発のない国を作り、それを世界に広げていくべきだと思う。そのためにやるべきことは二つ。まず、代替のエネルギーとして、太陽光エネルギーの研究をすすめるべきだ。これまで、原発を推進する研究に莫大な研究費を投じてきた。その研究費を、太陽光エネルギーに投入する。日本企業も京セラなどはこれまでも取り組んできたが、それ以外の企業も本気で取り組むべきだろう。もう一つは、過剰なエネルギーを浪費するような生活から脱却すること。今原発が賄っている電力は全体の3割程度。太陽エネルギーによる代替とともに、一人ひとりが生活を改めることが重要だ。スリーマイル島の時も、チェルノブイリの時も、国や東京電力は、日本の原発は絶対に安全だと言い続けてきた。しかし、日本の原発だけが安全などということはあるわけがない。今回の事故で、それが明らかになった。今こそ原発から脱却する新しい国をつくらなければ、必ずまた同じような事故が起こる。原発の事故は、近代文明の悪をあぶりだした。これは天災であり、人災であり、「文明災」でもある。今回の震災について、石原慎太郎さんが「天罰」という発言をされたが、何の罪もない一般の人々が被害にあわれたこの災害に対して、「天罰」という表現は間違っている。もし「天罰」があるとすれば、それは道徳心を失った政治家、実業家に対して下らねばならない。今も原発の現場では、自らの身の危険を顧みずに復旧作業にあたっている作業員の方もいらっしゃる。日本人には、本当に立派な人がいると感じる。こういう心を皆が持って、新しい国づくりをしていかなくてはいけない。そして、新しい日本が模範となれば、世界をも変えていけるのではないか。今こそ、経済力だけでなく、新しい価値観で世界に範を垂れる国をつくるときだ。』

 ここで梅原は今後の日本の電力をどのようにすべきか、という提案を出し、思想家らしくひとつの方向性も明確に示していることがわかるだろうか。
 さて次に、再度池田大作の記事が載った文章を引用してみる。両者の差異を公平な視点から判断できるようにとほぼ全文を転載している。どうかもう少しお付き合い頂きたい。

 2011年3月17日、原田稔会長が宮城の被災地で紹介した、東北の友への池田大作名誉会長のメッセージは以下の通り(3月18日付聖教新聞2面に掲載)。
 『私の心も東北にあります。愛する皆様方と一緒です。どれほど痛ましい、甚大な被害か。改めて、心よりお見舞い申し上げます。胸の張り裂けるような惨状のなかで、皆様方は、菩薩の如く、いな仏そのものの勇気と慈悲と智慧をもって、一人一人の友を励まし、大勢の方々を救ってくださっています。東北をこよなく愛された、わが師・戸田城聖先生は、よく言われておりました。「いざという時に、人間の真価は現れる。いざという時、絶対に信頼できるのが、東北人だよ」と。本当に、その通りであります。一番、純朴で親切な、一番、誠実で忍耐強い、わが東北の友の偉大な奮闘に、私は心で熱い涙を流しながら、最敬礼しております。日蓮大聖人は、最愛の家族を失った一人の女性に、こう仰せになられました。「法華経をたも(持)ちたてまつるものは地獄即寂光とさとり候ぞ」(御書1504頁)と。いかに深い悲しみや苦しみにあっても、絶対に負けない。妙法を唱え、妙法とともに生き抜く、わが生命それ自体が、金剛にして不壊の仏だからであります。戸田先生も、東北の友に語られました。「大聖人は、すべての大難を乗り切られた。これが実証です。あなたには、妙法があるではないか。創価学会があるではないか」いまだに、ご家族や同志・友人の安否が掌握できない方々の心中は察するにあまりあります。私も妻と題目を送り続けております。御聖訓には、「設い身は此の難に値うとも心は仏心に同じ」(同1069頁)とあります。どんな境遇にあろうとも、広宣流布に進む私たちの心は、同じ仏の境涯にあります。生々世々、仏の常楽我浄の世界で、一緒であり、一体なのであります。仮に一時、離れ離れになろうとも、この生命の不可思議な絆だけは、決して切れることはありません。ともあれ日本中、世界中の友が、異口同音に感嘆し、驚嘆していることは、「東北だからこそ、これだけの大災害にも屈しない。東北には、なんと崇高な人材群がそろっていることか」ということであります。創価の名門・仙台支部の誕生から60年経ちます。これが、戸田先生の願い通り、誇り高き皆様方が私と共に築き上げてくださった、難攻不落の東北の人材城であります。東北出身の哲学者・阿部次郎は、「如何なる場合に於ても思想は力である」(『三太郎の日記』岩波書店)と言いました。最極の人間主義の思想である仏法は、最強の人間主義の力であります。今から250年以上前、ポルトガルの都リスボンは、大地震と大津波と大火事によって壊滅しました。しかし、そこから迅速に立ち上がり、幾多の人材の力を結集して、大復興を成し遂げ、最高峰の理想都市を建設していった歴史があります。どうか、大変でしょうけれども、一日一日、無量無辺の大功徳を積みながら、人類が仰ぎ見る「人間共和の永遠の都」を、東北天地に断固として創り上げていってください。私も、愛する東北の皆様のために、いよいよ祈り、総力を尽くしてまいります。最も大きな難を受けた東北が、最も勝ち栄えていくことこそが、広宣流布の総仕上げだからであります。大切な大切な皆様方、どうか、お元気で! お達者で! 四六時中、題目を送り抜いてまいります。』

 私の知るかぎり、震災後の池田大作のメッセージはこの二つだけである。どうだろう、やはり何も言っていないと感じる。事態は震災ではなく原発(文明災)の問題に重点が置かれていたが、そこへの言及がいっさいない。公明党の発言にも目に留まるような主張はなかった。原発問題はどうしたって政治性を帯びるし、人生(宗教)観が露呈してしまう大きな問題であった。

 この国難のときに誰がどのような発言を残したかを検証することは、発言者の信頼性を見極める判断材料として有効だと思う。ここで原発の是非に関わらず言及できなかった学者や政治家や知識人などは、その力量の浅さを露呈してしまったとも言えるだろう。あるいは(個人レベルあるいは党レベルでの)表面下での原発との利害関係、癒着は隠しつつ、支持者には反原発的に振る舞いたい信用できない者の典型であるという疑念は個人的に強まった。

 東電はもちろんのこと、政治家や原子力安全委員会も情報を隠蔽し、政府への不信は致命的なレベルにまで達した。芸能人でも原発問題に過度に踏み込んだ発言をしたものは仕事を降板させられた。ネット上では疑心暗鬼からくる誹謗中傷が飛び交っていた。この時、日本国民は戦後初めて政治的な問題に直面したと言えるだろう。

 冷却装置が損傷し、メルトダウンの危険が叫ばれていた原発問題。すでに放射能は漏れ出しており、政府はそれを隠しているという噂が飛び交う混乱のなか、多くの人々はそれまで「安全神話」を妄信していたがゆえに、放射能の危険性については限りなく無知であった。
 多くの国民が妄信した原因は、マス・メディアへの莫大な広告宣伝費を投じて築き上げてきた、「安全・安心」というイメージ戦略(洗脳)であったといえるだろう。   
 マス・メディアにとって東電は最大のスポンサーとなるので、とうぜん強く批判できない。このような利害関係に屈したメディアは、あろうことか情報操作・隠蔽に加担してしまう。本来、メディアは中立な立場で情報を国民に伝えることが役割(そのため電波法で利権が強く守られている)なのだが、それを守れなかったマス・メディアは政府同様に信頼を失った。
 東電もメディアも政府も信用できないことにようやく気付き、国民が混乱し、絶望している状況で、池田大作は確実に原発問題をスルーした。つまり、創価学会は国を左右するかもしれない最も思想・理念が問われる事態を目の前に、沈黙・黙秘することしかできなかった。
 池田大作の重病説は否定し、あくまで体調不良とする創価学会だが、ご高齢である天皇陛下も手術前であったにもかかわらず被災地へ足を運ばれたように、池田も現地へ訪れるべきではなかったのか。少なくともパフォーマンスとして現地を訪問する姿が某紙一面を飾る光景は、信者の期待にもっとも答えられる場面であったことはまちがいないだろう。祈り続ける元気や被災地へのメッセージを書く正常な意識があるのであれば、なぜ被災地へ直接出向いて励まさないのだろうか? 放射能を恐れて家族を西へと非難させ、自らも被災地を避けていた政治家は多いと聞くが、これらの行動とどう違うといえるのだろうか。もはや創価学会の体質は、東電同様に「不透明」であることに疑いの余地はないと思える。
 この批判はとうぜん公明党にも向けられる。政治的な発言力があるのに何も言わなかった功罪は大きいと言えるだろう。
 原発「賛成」か「反対」この素朴な質問にだけ答えてくれればよかったのだ。部分的に賛成反対が入り混じり錯綜していたってかまわない。問題は、これからどちらの道を目指そうとしているのか、そのビジョンを国民に示す必要があったのだと思う。
 
 さて、これまでの状況を踏まえ、もう一度、梅原猛の文章を転載してみる。 
 2012年4月9日 東京新聞夕刊より「二種の絆」。
 『最近「絆」という言葉がしばしば肯定的に語られている。未曽有の災害というべき東日本大震災に際して、確かに多くの人々が家族ばかりか地域の人々を思いやって行動した。人を助けるために自らの尊い命を犠牲にした人は5人や10人ではない。この大震災にあって日本人が甚だ道徳的であった事は海外のメディアでも称賛された。また、被災地の人々が大震災後、力強く立ち上がる力となったのも人間の絆であった。このように考えると、「絆」が高らかに礼讃されるのももっともなことである。しかし絆というものはいかなる場合もよいものであろうか。社会学の開祖といわれるドイツの学者テンニエスは、人間社会をゲマインンシャフト(共同社会)とゲゼルシャフト(利益社会)に分類した。共同社会は血縁、地縁によって結合される社会で、人間の本質意思によって成立するが、利益社会は会社あるいは大都市の社会で、人間の選択意思によって形成されたものであり、人々を結びつけるのは金銭的な利害関係である。テンニエスは人間社会は共同社会から利益社会へ発展すると考えた。中世社会は共同社会の、近代社会は利益社会の性格が強いというのであろう。とすれば、日本のような近代国家においては共同社会の絆より利益社会の絆が強いといわねばならない。東日本大震災にあたって人々を驚かせたのは、この辺境といってよい東北の地に共同社会の美徳が残っていたことである。私は30年ほど前に書いた著書「日本の深層」で、東北の地には日本の基層文化である縄文文化が多分に残っていると論じたが、その認識は間違いではなかった。しかし大震災によって、私はまた利益社会の絆の強さも感じざるを得なかった。たとえば、東京電力という国家に手厚く守られた会社の絆である。内閣府原子力安全委員会経産省原子力安全・保安院の人々をはじめとする多くの学者や官僚との間に非常に強力な絆が築かれていたように思われる。福島の原発事故について正当な発言をしてくれると思われた友人の学者がメディアで、むしろ東京電力を擁護するような発言をした。不思議に思っていたところ、その学者をはじめ多くの原子力関連の学者が東京電力から多額の寄付を受けていたことが分かった。わたしは、今回の大事故にもかかわらず確固たる根拠もなしに原発の安全性を叫ぶのは、このような利益社会の絆の中に立たざるを得ない人間であるような気がする。先日亡くなった吉本隆明から学ぶべきものは、一切の絆から離れて自分の思想をはっきり語る態度である。共同社会の絆はもちろん利益社会の絆も大切であろうが、しかしたとえ少数でも、一切の絆から離れて自分の意見をはっきり主張する人間がいないかぎり、日本が近代国家として立派に発展することは不可能であるとわたしは思う。』

 東電的体質が日本の政治、社会に蔓延しており、創価学会もまたそれらとなんら変らない体質と成り果てていたことが、津波が引いたあと浮き彫りとなった(冷戦時代には原子力爆弾・核兵器反対の意思を声高々に表明していたのに、9.11ではアメリカの「テロへの報復」というワンフレーズに、自公連立で安易に賛成するという愚考の末、蓋を開けてみればイラクには核兵器がなかったと証明された。にもかかわらず、謝罪、弁明なしという無責任さ。あげくの果ては、3.11による原発事故という自国の国難を前に、まがいなりにも国民の13分の1近くの信者がいるとされる団体が、自らの当事者として発言力、影響力を発揮できる最大のチャンスに、何も意思を表明しない(できない)大敗という事実)。